かねやすの歩み 第一章 明日に誓った日々

『株式会社かねやす 40周年記念誌』より

第一章 明日に誓った日々


大志を胸に秘めた青年が博多駅で肩を組んだ。
まだ彼らは自分の未来を知る由もない。
ただ、この二人の男が出会ったときから、すでに『かねやす』の歴史ははじまっていた。

運命的な出会いの中で

日本が第二次世界大戦へと突入しようとしていた、昭和14年の夏。湯布院の奥山に佇む風光明媚な歴史ある温泉地・湯平で安光董美はこの世に生授かる。やすらぎの大自然が残る故郷を舞台に、元気いっぱいの7人兄弟の中で育った董美だったが、小学校1年生の時、早くして母に先立たれてしまう。

「その当時ね、小学校1年生から4年生まで担任だった女性の先生がいまして。本当によくしてくれたんです」。その頃は戦後間もなく、世間のほとんどが貧しかった時代。にもかかわらず、その先生は卒業して、自分の手元を離れ進学した董美を心配し、毎月500円もの仕送りをしてくれていたのだ。「感謝しても、しきれない」。先生との縁はこの後も董美の大事な岐路の時に手をさしのべてくれる。

そして、16歳の時。大分郡部からは狭き門だった名門・大分商業の夜間部へ進学。「当時は普通科より、商業系の希望者がほとんどだった」。無理がいえない家庭環境のこともあり、住み込みで働きながら通うことになった董美。だが、その矢先、一学期が終わる頃、父が亡くなる。「親父が死んだら、もうひとりで生きていくしかない。ただ、そのことだけを考えました」。董美、当時まだ16歳。ただでさえ心が揺れ動く時期。明日だけを見て、自分の力で強く生きていく覚悟を決めた瞬間でもあった。

住み込みで働かせてもらった新たな舞台は、大分市内で商売を営む「佐藤金物店」。そこで運命の出会いが待っていた。昼はめいいっぱい働き、夜は学校へ通う毎日。当時の「佐藤金物店」は大分の大手建設会社との取引を行い、手形は一切なし、非常に手堅い商売をしていた。「ご主人のことをね、大将!大将!って呼んでいたんだけど、本当に誠実な商売をされていたんです。本当にいい経験、いい勉強をさせていただきました」と当時のことを、昨日のことのように鮮明な描写で振り返る。「とにかく食卓に当時では高価な肉や魚が並んで、それを丁稚にも食べさせてくれるんですね。それは驚きでした。そのとき、『金物屋はいい商売だ』というのが脳と身体に刻み込まれたんでしょうね」。反抗心もある青春期だが、その分多くのことを学んだ4年間。この頃から「いつか自分も独立してやるんだ」という大志を抱くようになり、いつ訪れるかわからない、チャンスのためにと準備をはじめる。

『かねやす』の歴史時計はすでにこのとき、董美の心中で微かに型づくられていたのかもしれない。

恩師を訪ね、身体ひとつで福岡へ

「佐藤金物店」で生まれて初めてもらった給料が住み込みで1600円。卒業するときは4500円。高卒の初任給が6000円の時代。だが、董美は遊びほうけることなく、コツコツと働き、貯金をしていた。堅実な商売のもとで、生まれ持った堅実な性格に磨きをかけ、自己鍛錬を怠らなかった。

話しを戻そう。堅実な商売で自分を磨いた董美青年。卒業を迎え、進路を決める際に、前述の小学校時代の恩師を訪ね、福岡へ行くことを決断する。「仕事のあてがあったわけではないのですがね。先生が結婚して福岡で暮らされていたんで、それを訪ねていきました。身体ひとつとわずか1万円足らずの貯金を持ってです。ただ、いつか独立して成功してやるんだという気持ちはしっかりと持っていました」。歴史時計を胸に、ついに董美青年は夢の舞台を福岡へ移す。19歳、門出の春のことだった。

明日に向かって奔走した日々

福岡へ到着したが、頼みの綱の先生が不在で会えない日々。あてもなく困った董美は博多駅近くにあった日雇い労働者のタコ部屋で暮らしながら福岡の生活をはじめた。定職と住まいを求めて職業安定所などを奔走。そうしてようやく掴んだのが『福岡ニビシ』での醤油製造の仕事だった。ここで董美は妻・光子と人生最大の運命的な出会いをする。「私の方が会社では先輩だったけど、『本当によく働く人だなあ』という印象がすごく強かった」。先輩である光子との出会い、そして、結婚へ。そして長男・徹雄の誕生。その頃から、新たな職を経験していく。

「いや…どこで働いても、いつかは独立という夢がありますから、会社全体のことや仕事の効率、売上のつくり方、上司と部下の関係などいろんなことが気になって、何でも主体的にやっていました。おかげで常に成績はトップクラス。辞めるときには必ず引き止められていた」。絵に描いたような順風満帆な日々。市営住宅が運良く当たり、憧れていた自分の家庭も手にし、そして、タクシー運転手という新たな道を選択したとき、ようやく歴史時計が動きはじめる。「成績が良かったんで給料も高く、夢のための貯蓄ができたのもありますが、運転手をしていると福岡中を見てまわれる。そしていろんな情報が耳に入ってくるんです。それであるとき、『これからは西がいいらしい』という噂も聞いて、いてもたってもいられず、遂に実行に移したわけです」。長男・徹雄が小学校入学したばかりのとき。幼い妹ふたりをいれた家族5人で東から西へと、希望の明日へ向かって大きな一歩を踏み出したのであった。