かねやすの歩み 第四章 プロショップとしての使命

第四章 プロショップとしての使命


プロのニーズに応えるべく
店舗ネットワークの拡大へ
半世紀越しの夢は現実となった

花咲かす季節が巡ってきた

平成5年に本社を野芥店から福重店へ移すと、その翌年の平成6年に前原店、平成8年に篠栗店を出店。東西エリアへと勢力を拡大。その間、平成7年には、大阪で働いていた董美の長男・徹雄が『かねやす』に入社。三本柱のひとつとして、さまざまな成果を上げ貢献する。

そして平成9年、本社・福重を現在の社屋に立て直し、コンピューター・システムを最新の技術に改革。平成10年に資本を増資し、組織基盤をより大きく成長させたのであった。

ちょうど時代は20世紀末。ミレニアムに世間は沸き、21世紀幕開けへのカウントダウンがはじまっていた。『かねやす』は創業30周年を目前に控え、強くたくましく育ててきた幹から、さらに枝をのばし、ようやくその花を咲かせようとしていた。創業当初からの計画通り、『かねやす』は」ここから、さらに店舗を出店し、エリアを広げていく。

当時の目標は10店舗。店舗を増やし、エリアを拡大するには、それなりの理由があってのことだった。それは、本物のプロショップとして、多岐に渡るプロの要望にしっかりと応えていかなければならなかったからである。より複雑になっていく注文内容と、それを供給する際のスピードへの要求に応えていくためには、拠点を増やし、より広範囲のエリアをカバーする体制をもってのぞむことが、必要になっていったのだ。また、そのようなニーズが『かねやす』に集まるということは、それだけ『かねやす』がプロショップとして建設・土木のプロたちから認められ、30年という月日をかけてようやく社会に不可欠な存在として認知されてきたことの証でもあった。

「この多店舗展開の体制が整えば、『かねやす』はさらなる次のステージへと企業成長の場を向上させることができる」。たくさんの花を咲かすことで、さらに夢が膨らむ。新しい門出の季節を迎えていた。そして平成12年の太宰府店開店を皮切りに、創業30周年を迎えた後、元岡点、福間店、香椎店(新築移転)、博多南店と5年間で5店舗を出店。大きく舵をきってさらなる大海原へと船出をはじめることとなる。

新しいプロショップとして

新しい体制づくりに向かって、出店を続けていた時期と時を同じくして、『かねやす』社内でも、新しい時代を迎えるための体制づくりの準備が行われていた。

新店の出店を董美、俊雄、徹雄の三者が役割を分担しながら展開して行く中で、会社全体の運営に関わる主な実務を、徹雄が引き継いでいく。その時をきっかけに、業務の改革や新たな営業戦略が次々に行われていった。そう、今の『かねやす』の原型ともいえる、さらなるプロショップとしての新しい『かねやす』の骨組みを形成していったのがこの時期でもあったのだ。そして、香椎店の新築移転が完了した翌年、平成17年に徹雄が代表取締役社長に就任。新たな時代の幕開けを予告する、世代交代。大阪から戻り、『かねやす』で働き出して、ちょうど丸10年を迎えた頃だった。

「代表に就任して博多南店を出店するとき、今後は出店をしてエリアを拡大していくのではなく、地域に根ざした企業として『かねやす』の在り方、またプロショップとしての『かねやす』が持っている強みをもう一度つくり上げていこうと決めていました。もちろん、これまでの歴史の上に」。この徹雄の決断が分岐となり、先が見えない時代にあってもその行く先を見失わない『かねやす』という堅実な船は、新たな航路と船長を手に入れ、プロショップとしての大公開への再出発を切ることになったのである。

…創業当時のことを振り返り、董美が発した言葉にこんな一節があった。「企業運営で何が大事でしょうか」という問いに対して、「いくつかありますがね…」。「『決断力』。これは非常に大切ですね」

プロショップとしての使命と決断。それが『かねやす』の根幹を担っているのだ。16歳の董美が抱いた夢は、俊雄との二人三脚の時代を経て、徹雄をはじめ社員のすべてに、しっかりとその精神が継承されている。

そして今、『かねやす』はプロショップとして40年間歩んできた道のりを胸に刻み、どんな時代の荒波にも怯まない、堅実な企業として、「終わりなき新たな航海」に挑んでいる。

プロショップとしての使命と誇りは
未来へと受け継がれ続ける―――――