かねやすの歩み 第三章 小さくても強い企業

第三章 小さくても強い企業


日本経済の飛躍と同じ角度で
企業として、プロショップとして『かねやす』の成長線は右肩上がり
そこには鉄の掟があった

叱る、褒める、伸びる

「室見川より西は、必ず栄える」。董美は、以前からそんな情報を耳にしていた。若い頃から情報収集、勉強、実践がモットーだった董美。それが功を奏す。株式会社設立後、福重店を開設。創業十周年以降は野芥、福重を改装と、苦労はしながらも弟と二人三脚の会社運営が勢いに乗ってそのスピードを加速させて行った。

時代は、戦争に翻弄された後、誰もが同じ方向を見てがむしゃらになって働いた「昭和」から、バブル経済、そして価値観の崩壊を迎える「平成」の時代へと移行しようとしていた。

平成3年、時代の変革に対応し、規模を拡大させた『かねやす』はめでたく20周年を迎える。初めは独立、そして次にプロショップとしての商品構成、さらには自分の土地と店舗というように、夢の階段を駆け上がってきた董美だが、実は『かねやす』創業当時から、すでに10年後、20年後、30年後、40年後と組織を成長させながら店舗のチェーン展開を図って行くという企業拡大の青写真をかなり明確に抱いていたという。目指したのは、時代に流されない「小さくても強い企業」。それには「器(店)」だけではなく、「心(人)」が重要。そのことへの理解を数々の経験から十分に深めていた董美は、社員教育にもその手腕を発揮していく。

「よく指摘していただいたのですが、小さなネジ1本、商品の砂が少しでもこぼれ落ちていると『ほれほれ、お客さんとお金が落ちているよ』と。ダンボールの切り方ひとつも『ムダがあっては自分が損をするよ』、掃除のひと動作も『拭くのではなく、磨かないと輝かない』と。新入社員のころ、トイレ掃除をするとき『こうやってするんよ』と自ら便器を磨く手本をみせる姿に衝撃を覚えましたよね。今思えば、本当にありがたい。」と眞鍋統括部長やそのころ新入社員として入社した濱田商品部長は語る。

「叱るだけではだめ、いい事をしたら心の底から褒める。そうすれば人は必ず伸びる」。それを忙しい業務の中で、身をもって教えるのは容易なことではない。なぜならそこには叱る、褒める側の人間の心の度量と辛抱強さが求められるから。だが、董美はそこにこだわり続けた。それは青年期から社会の荒波にもまれた人生の中で、プロショップとして、プロのお客様に喜んでもらうには、プロの企業人が絶対に必要なのだという確信があったからでもあった。

「この話には続きがあって、社長(董美)にこれでもかとこっぴどく叱られた後、必ず専務(俊雄)が知らん顔して『今日、飲みにでも行こうか』とくるわけですよ」と眞鍋統括部長がニコリッと笑う。「アメとムチ」。現代社会ではもはや古臭いフレーズなのかもしれないが、今の『かねやす』を見れば、それが人材を強くする根本原理であることがよくわかる。それを根拠に『かねやす』創業の精神5ヵ条は未だ一語一句違わずに受け継がれている。

時代を先取りした改革で躍進

器も心もそろいつつあった。ただ、まだ職場の作業は手作業が普通の時代。数万点にもおよぶ商品の管理、数千に及ぶ顧客、会社の発注書・請求書を処理する仕事量はすさまじいものだった。ともすれば、それだけで日々過ぎて行く。そこで董美と俊雄は商品管理や伝票管理を全店コンピューター・ネットワークでつなぎ管理するコンピューター・システムの導入に着手する。今では当たり前だが、業界ではまだまだ事例がない頃の話だ。「まだパソコン自体が普及していないときですからね。右も左もわからないところからの挑戦でしたよ。一つひとつの商品情報をデータ化してコード付けするだけでも、それは想像を絶するほど大変でしたね。」

その任務の実践をまかされた俊雄は、持ち前の知識力と器用さを武器に自力でその道を極め、立派なシステム完成へとこぎ着けたのであった。その後、社長の座を任された俊雄は、店舗設計や新店立ち上げを仕切りながら、2度のシステム移行と、ISO取得など『かねやす』の業務基盤を次々と築き上げていく。